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OBからの寄稿
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2004年4月1日:考古科学への招待:空手部部長 宇田 応之

はじめに

 理工学部で教鞭をとっている私は、2年生には量子化学を、3年生には原子スペクトルの基礎を、そして大学院生には電子構造論を教えています。ところで、二十数年前になりますか、私がX線を使った研究をしていることを知って、一人の学生が訪ねてきました。それは東京藝術大学修士課程の学生で、彼は古伊万里(磁器)の破片をたくさん持ってきました。意味は少し狭くなりますが、柿右衛門の破片といったほうがわかり易いかもしれません。そして、300年以上も昔日本がヨーロッパに大量輸出し、世界にも大きな影響を与えた“焼き物"を分析したいので、教えて欲しいとのことでした。考古学や美術の分野に興味を持っていた私は即座に引き受けました。これが私の考古科学との出会いでした。以来私は機会あるごとに、考古学資料の分析を手がけるようになりましたが、研究生活の後半は自ら好んで考古学資料を扱うようになりました。

  さて、科学は必ずしも、“若者達のため"だけにあるわけではありません。年をとってもできる科学もあります。いや、かえって色々な経験をつんだ人を歓迎する分野もあります。その一つが考古科学なのではないでしょうか。
 大学での考古学という分野は、多くの場合文学部の中におかれています。そのため、考古学研究には科学的手法が必要不可欠であるにもかかわらず、それを教える先生も、またそれを習う学生も科学オンチときています。そんなわけで今の考古学は、かなり偏った分野だけを扱っていると言わざるを得ません。つまり、考古学には“考古科学"という分野が欠落しているか、きわめて手薄なのです。

   そんなことは勿論考古学者も気付いてはいますが、だからといって、文系の人が、ある年齢を過ぎてから、理系の勉強をするなど、とてもできそうにありません。とすれば、道はただ一つ。それは、理系の人が考古学に興味を持ち、そこに時間を割くことです。ところが、理系の人で、“若いうちから考古学にも興味を持っていた"という人は一何人いることでしょう。とても多いとは思われません。でも人は年をとるにつれ、考え方が少しずつ変っていき、幅も広がっていきます。この時こそ理系が文系の中に入っていき、文系と理系を融合させた新しい分野“考古科学"を作るチャンスなのです。
   一方、文系の人も年齢をかさねれば、理系の解析手法の必要性をある程度理解するようになります。この時こそ文系が考古学オンチの、そして漢字に弱い理系に、考古学の面白さや、字の読み方などを教えるチャンスなのです。
 砂漠に凛と立つピラミッドの大きさと美しさを見たとき、現代人の乾いた心は癒されます。そして、古代エジプトの遺跡を注意深く観察すればするほど、あらためてエジプト文明の奥深さに驚かされます。そびえるように立つ石柱建造物の巨大さと美しさ、岩山を掘り抜いた巨大な石像、盗掘を避けようと石灰岩の岩山を複雑に掘り込んだ岩窟墓、どれをとっても古代エジプト人の智恵の深さを感じさせるものばかりです。ところが、巨大構造物以外にも我々の心を惹きつけてやまない物があります。ミイラの顔をかざった黄金のマスクや数々の副葬品、ファラオや古代エジプト人が使った家具の品々、エジプト起源の紙(パピルス)や岩窟墓の壁、更にはミイラを収めた棺の表面などに描かれた文字や絵画、これらは一度見ると、再度いや再三見てみたくなるものばかりです。いやいや、分析してみたくなるものばかりです。
 そこで、お誘いです。文系の方でも理系の方でもどなたでも結構。私といっしょにこれらを分析してみたり、観察してみませんか。私たちがこれまで、遺跡現場や博物館で分析してきた実例を少しだけ紹介しますから、この分野なら俺に、私に任しておけというところを見つけて、筆者までご連絡ください(muda@waseda.jp これはムダと読みます。人生にはムダも必要なのではないでしょうか)。

その場での分析

  大英博物館、ルーブル博物館、スミソニアン博物館など世界の大きな博物館には例外なく、エジプト、ギリシャ、ローマ、中国などの遺品が陳列されています。ところが、最近発掘されたものはゼロです。そのわけは、どの国も発掘品の国外持ち出しを禁止したからです。ですから、古代の文化遺産を分析したければ、これら博物館の何処かか、発掘国の博物館か、発掘現場のいずれかに行かなければなりません。
   そこで、我々はポータブル型蛍光X線分析装置とX線回折装置を、スリランカに1度、エジプトに4度、ギリシャに1度持ち込んで分析してきました。今年は中国にも行って面白そうなものを分析してきます。そこで今回はエジプトでの分析例を少し紹介して、“仲間になってもいいかな"と思っている人を“よし、仲間になってやろう"に変ってもらおうと思って筆を進めていきます。

分析例その1 4000年前に描かれた石碑

 カイロの中心に程近いところに、国立エジプト博物館が建っています。カイロに行ったことのある人なら1度は訪れたところです。この博物館にはエジプト出土の重要な遺品が多数陳列されています。この中から3点分析してきましたが、中でも最も美しい絵を1つ紹介します。図1に示した絵は、アメンエムハトという貴族のお墓で見つかった、副葬品の石碑(ステラ)に描かれていたものです。4000年経った今でもほとんど色あせていないのには、本当にびっくりです。

図1 アメンエムハトのお墓で見つかった4000年前のステラ写真1:アメンエムハトのお墓で見つかった4000年前のステラ

   このステラは、エジプト博物館1階、入り口から向かって左側の回廊の右奥、壁際に置かれたガラスケースの中に陳列されていて、毎日一般の見学者に公開されています。カイロに行ったら是非見てきてください。さて、このステラの分析にあたっては、分析に要する時間だけ、ステラをガラスケースから取り出してもらいました。ですから、分析している様子は一般の見学者にも勿論公開され、お客さんたちは興味深げに眺めていきました。中には質問をしていく人もいました。
 アメンエムハトの石窟墓は、カイロの南約500キロの地、テーベ(これは昔の名で、今の地名はルクソールといいます)に、中王国時代第11王朝、つまり、今からちょうど4000年前に作られたものです。ところで、このステラの絵はエジプト博物館陳列品の中でも最も美しい絵の一つです。大きさは、縦30cm、横50cm、厚さ5cmほどで、石灰岩で出来ています。
 描かれている人物は中央(左から三人目)が埋葬されようとしている、貴族のアメンエムハト、左端は妻のイリ、左から二番目が息子で、この三人はお互い手を取り合っています。右端は息子の嫁。嫁とアメンエムハトとの間には捧げ物が、縞模様のテーブルの上に山積みにされています。一番上が野菜、次いで肉の塊、その下に牛の足(すねの部分がテーブルの模様と似ていてちょっと見難いですね)であろうと思われます。テーブルの下にはパンが二個置かれています。また、アメンエムハトの妻が座っているベンチの下にはバスケットが描かれていて、バスケットの上部から鏡の取っ手がのぞいています。
 男の肌は赤っぽいブラウンで、ヘマタイト(酸化第2鉄、弁柄)に墨を混ぜて描く習慣になっています。女の肌は主として黄色っぽいゲータイト(ドイツの文豪ゲーテが見つけた鉱物で、水酸化第2鉄の一部脱水したもの)で描きますが、白を混ぜて薄めることもあります。髪の毛の黒は墨で描いてありました。
   また、薄いグリーンは人工の絵の具(顔料)と思われます。青と緑の絵の具(顔料)は数千年の昔からエジプトでは、合成されていたと言われています。主成分はCaとCuを含むケイ酸塩で、組成や不純物の量を変えて、青から緑まで色々な色を出していたと考えられています。勿論Cuを含む天然鉱物には、青色や緑色のものもあり、これらが古代エジプトで“絵の具"として使われていたという人もいます。例えば、アズライト(藍銅鉱)、ラピスラズリ(青金石)、トルコ石、マラカイト(孔雀石)、珪孔雀石などです。
   でもこれらのいくつかはCu化合物の腐食生成物である可能性も決して低くはありません。絵の具として使われていたかどうかの判断には、青や緑以外の絵の具の変質程度などを参考にしながら決める必要があります。ただし、ラピスラズリやトルコ石は首飾りなどには頻繁に使われていたものです。さて、この絵で一番面白かったのは、女性の白いローブの部分からとても変った絵の具が見つかったことです。その鉱物名をハンタイトと言います。これはCaとMgの炭酸塩で、CaとMgの比が1:3です。1:1なら昔から良く知られていたドロマイトという鉱物で、なんの変哲もありませんが、1:3なのです。しかも、このハンタイトという鉱物は1953年に初めてアメリカで見つかり、その後は数箇所で少量見つかっているに過ぎません。
   その上、鉱物として認知されてから、50年程にしかならないハンタイトが、古代エジプトでは既にその性質さえもが良く知られていて、顔料として使われていたということです。更に面白かったのは、我々がエジプトで分析した1998年現在、このハンタイトのエジプトでの最初の使用報告例は3500年程前だったということです。我々の分析した絵は4000年前に描かれたものですから、歴史は500年程さかのぼったことになります。でも、喜んでいたのもつかの間、最近になって4200年ほど前の使用例が報告されました。
 考古学とは変なもので、自然科学や工学のように、より新しく、より性能の良いものを求めるのではなく、古い方がお値打ちなのです。でも、同じ発明、発見なら古い方が上と考えることにすれば、科学史ともあい通じますがね。

分析例その2 公開前の石窟墓

   ルクソールの西岸にはたくさんの石窟墓があります。王家の谷、王妃の谷という場所にはファラオやその妃達が、また、その中間の場所には、貴族や墓を作った工人達が葬られています。そして、これらのお墓の多くは既に一般公開され、その美しさに観光客達は、ため息まじりの歓声を上げたりしています。
   でも、いくつかのお墓はまだ未公開のままです。というのは、お墓の内部はコウモリの糞などで汚れていたり、塩害のため、崩れ落ちたりしているからです。砂漠の真中で塩害など“どうして"と思われる方もいらっしゃるかと思いますので、一言。エジプトの砂漠に露出している石灰岩はその昔、海底に堆積した貝殻だったのです。ですからその中には勿論塩も含まれます。
   早稲田大学のエジプト調査隊(隊長:吉村作治)は、今アメンへテップIII世という3400年ほど前のファラオのお墓を、一般公開に向けて整備作業を進めています。また、今では一般公開にこぎつけましたが、1998年当時は修復中だった貴族ウセルハトというお墓(約3400年前,図2に壁画の一部を示します)がルクソール西岸にあります。共に新王国時代、18王朝のものです。私がUNESCOの依頼で後者のお墓を調査した経験を少しお話します。図3はアメンへテップIII世墓の壁面の一部で、分析場所を探しているところです。

図2 貴族ウセルハトのお墓(3400年前)の内壁
写真2:貴族ウセルハトのお墓(3400年前)の内壁

図3 アメンへテップIII世墓(3400年前)の壁面の一部(この人は誰でしょう?)写真3:アメンへテップIII世墓(3400年前)の壁面の一部

  石灰岩をくり貫いて、地底深くまで掘り進んだお墓の中は、真っ暗だったはずです。その中で描く絵はランプの光だけが頼りだったのです。そして、そこには来世にたどりつくまでの道すがらと、来世で豊かな生活をするための必需品が描かれていました。ではどんな色を使って描かれていたのでしょう。それは、多くの日本人が考えるような地味で、暗い色どころか、想像を絶する、まばゆいばかりの明るい色で描かれていたのです。アメンエムハトのステラに使われていた薄い緑のほかにも、明るい青、明るい赤、金色などが使われていて、秀吉の黄金の間も真っ青になるような、明るく、あざやかな色使いだったはずです。
   鮮やかな赤を出すためには、鶏冠石(AsS)が使われていました。読んで字のごとく鶏冠石とは鶏のとさかの色をしています。何万年も前から赤にはヘマタイトが使われてきましたが、エジプト壁画も例外ではなく、ほとんどの赤はヘマタイトで描かれています。我々が調査したお墓の壁も、多くの場所はヘマタイトで描かれていました。しかし、太陽を表す円盤など大事なところだけはこの鶏冠石で描かれていました。
    金色は雄黄(As2S3)で描かれていました。普通黄色には、前にも説明したゲータイト(絵描きはオーカーとも呼びます)が使われていましたが、金色を表現したい時だけ雄黄を使っていました。しかも、アメンヘテップIII世のお墓にはこの金色がふんだんに使われていたので、製作当時はたとえランプの光でも、まばゆいばかりに輝いていたことでしょう。しかし、今はコウモリの糞で汚れてしまっています。一般公開に向けた清掃で、この金色を取り戻して欲しいのですが、清掃に当たっては細心の注意が必要です。というのは、この鶏冠石は層状の結晶からできた物質で、固体潤滑材として使われているグラファイトや、もっと身近なところではベビーパウダーのように、少し力を加えただけでスベスベになります。壁面を清掃する際、布のようなものでこすると、鶏冠石は剥がれ落ち、金色は薄れます。さらに悪いことにはこの剥がれ落ちて、布に移ってしまった鶏冠石は、金色が塗ってあったすぐ隣の場所に移動し、金色でもなかった場所を薄い金色にしてしまいます。こんな失敗例をエジプト博物館の棺に描かれた絵を分析した時に経験しました。勿論この棺を清掃した人は、顔料の組成や構造の知識のない人だったはずです。再び同じ失敗を繰り返さないため、アメンヘテップIII世墓の清掃にあたる人には、上記のような注意事項を伝えておきましたが、技術的にどこまで可能だったかはまだ聞いていません。
   お墓の壁画からも、多量の白い顔料ハンタイトが見つかりました。稀少鉱物だったと思われるハンタイトがこのように多量に使われていたことから、二つの謎が浮かんできます。一つは、ハンタイトが天然鉱物だっAたと仮定して、一体こんなに大量のハンタイトをどこから運んできたのだろうかということです。ちなみに、古代エジプトでも、現代エジプトでも、一箇所から大量のハンタイトが産出したという報告は目にしていません。ですからハンタイトは当時も貴重な顔料だったはずです。とすればこれは交易品に違いありません。だったらどこが交易相手国だったのでしょう。二つ目は青や緑の顔料と同じように、古代エジプトでは、ハンタイトも合成していたのではなかろうかという謎です。とすれば、エジプトの化学技術は、“どれほど高かったのか"想像もつきません。これはほんの一例に過ぎませんが、面白いことはまだまだたくさんあります。エジプトの調査はほぼ終了しつつありますので、今年からは中国に取り掛かります。ここにもすばらしい宝物が我々の調査を、そして謎解きを待っています。こんな謎を私といっしょに解いてみたいと思う人はいませんか。一緒にやってみたいという人はいませんか。

こんな人なら歓迎します

  文系と理系の橋渡し(どちらの方向からでもかまいません)をしてみたいと思っている人
  今自らは手を出せないが、応援はしてみたいと思っている人
  同好会を作ってあげようかと思い始めた人
  新しい趣味を探している人
  世話好きな人

お断りする人
 “――の権威"と言われている人、言われたい人

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