本学の空手部は1931年創部。松濤館の空手を継承。
伝統ある体育会の中でも最も伝統と歴史を誇る部です。
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■2004年9月2日:関西稲門空手会のご紹介
 関西稲門会会長 間口 良男

  この度は早大空手部と稲門空手会のホームページが開設され、現役部員の活動状況、そして広く全国に点在する会員の親睦・交流活動がこのホームページを通じて判り合えるということは、誠に喜ばしいことと思います。
 このホームページが全国の会員相互を結ぶ場として発展していくことを楽しみにしております。
  折角なので、ここに私の過ごした入部当時の思い出と、関西稲門会の生い立ちと今日の状況をご紹介させていただきます。

 空手部に入部した頃(空手部10周年入部当時)

  私は、大学入学を致しますと、空手部の前に山岳部に入ることになりました。そして山岳部員として、一度三つ峠に参りました。
  ところが、父から手紙が来て、「山へ行くなら学費は送らない」と、言うのを承知して東京へ出てきたのに、下宿先が父の世話になった事がある人で、逐一報告される仕組みになっていて、山へは行きませんと言いながら山へ行くなら学費は送らないと言われ、一度三つ峠に行っただけで、山岳部を退部致しました。

 その時クラスで、5・6人が空手部へ入り、全員が数日で辞めたらしくクラスに稽古着が5・6組遊んでいました。
 1ヶ月80円送金してくれる事になっていましたので、お金は上手に使わなければなりません。
 稽古着がたしか2円50銭だったので、いらない稽古着を只でもらい、空手部入部金5円を払って、入部すれば2円50銭安く、何かの運動部に入れると、大変不純な動機で、入部致しました。

 知った顔の先輩がいましたので挨拶をし、「よろしくお願いします。」とご挨拶しました。先輩の名前は鷲尾卓三という方で、「良く来た。可愛がってやるぞ。」と言われました。その時分、“鉄槌”という攻撃に対して下級生は“突き”を、手を出したまま手を引かずに止めておく事を命ぜられ、叩かれるまに受けさせられました。
 これが可愛がるの実体で両手が腫れ上がってなかなかのものでした。
 上級生が突いてくるのは鉄槌で払っては大変失礼になるので、一生懸命上段受けで受けさせて頂きました。

 調度私が入部した時は、新しい道場ができ、記念の“日本手拭い”を頂戴し、同期生は小芝・藤林・増田・加嶋・村松・奥山、顔は思い出しますが名前が一人出ません。
 小芝・藤林は、戦時中にそれぞれ戦死をし、終戦となりました。終戦後、加島と一緒に関西稲門空手会と称し、あちこちの町道場に行ったり、神戸の毎日新聞の支社長を細川隆一郎様がやっておられたので、土曜日には神戸で毎日空手教室に行ったり、大阪では富士火災の小川君(今彼は横浜で富士火災の代理店をやっているはずです)と一緒に稽古をしたりしていました。
 その後、私の会社で港湾高等職業訓練学校を始めましたので、生徒の体育に空手の練習を入れました。その後訓練学校は、国が五大港に造りましたので、私の学校ではなくなり空手もなくなりました。

 現在、私の家の敷地が八百坪くらいありますので、二十坪ぐらいの空手道場を造りました。以前、稲門空手会にも呼びかけて来てもらった事もありますが、今も私と関西稲門空手会に所属している若手OB数名と日曜ごとに練習をしております。
 また阪井事務局長、上島事務局を中心に関西で行われる現役諸君の試合慰労会、試合観戦、会員懇親会を年中行事とし、充実した運営を行っております。

 この関西稲門空手会が発会の時に、東京からわざわざ渡部先輩が駆けつけて頂き、大変立派な発会式になったと感激しました。そんな記憶のまま今日に至っております。
 関西へお立ち寄りの節は、そしてお時間があれば、皆様のご連絡をお待ちしております。
今後ますますの発展と現役諸君の活躍を期待しております。

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