本学の空手部は1931年創部。松濤館の空手を継承。
伝統ある体育会の中でも最も伝統と歴史を誇る部です。
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<魚津欣司先輩インタビュー>空手部の想い出
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<魚津欣司先輩インタビュー>空手部の想い出 
                                                            

<略歴>   昭和28年卒  魚津欣司(うおつ・きんじ)

1930 年 東京浅草に生まれる
1948 年 早稲田大学第⼀法学部入学(在学中、空⼿部に所属)
1953 年 卒業と同時に千代田生命入社。インストラクター、教習所⻑、支社⻑など歴任。
1964 年 セールスコンサルタントとして独立し、魚津経営実務研究所を創設。マーケティング特に販売促進、
営業幹部、営業マン教育で900 社以上の企業の指導に当たる。

<著書>
『販売作戦要務令』『販売常識をつき破れ』『独立ビジネス成功術』『セールスセンスを磨く本』『根回し・交渉・説得の決め⼿』『交渉に成功する100 の法則』『販売情報のまとめ方』『人生をやり直したいとき読む本』等71冊。

<趣味>
ピアノ


----------------インタビュー本文----------------

・・・(笠尾)魚津さんが大学で空手部に入ろうとした入部のきっかけ、あるいは空手を始めようと思った動機というのは、どんなものだったのですか。たしか戦後の第1期生つまり昭和21年の4月に入学したわけですね。

魚津:いや、23年です。

・・・(笠尾)ああ、23年でしたか。

魚津:そう。23年に入学、即入部ですね。

・・・(笠尾)それは、たまたま道場で空手部の練習を見て、それから入部を志したということだったんでしょうか。

魚津:いや、初めから入部するつもりで行ったんです。

・・・(笠尾)主将、副将など幹部はどなたの時代ですか。

魚津:主将は鎌田(博)さん。渋谷(松男)さんが副将です(ともに昭和24年卒)。

・・・(笠尾)入学以前にも空手の体験はあったんですか。

魚津:改めてお話しするとね、私が空手をやる動機というのは、実は東京大空襲なんですよ。

・・・(笠尾)・・・?

魚津:東京大空襲で火の中を逃げ回って、最後は火に囲まれて、人がどんどん死んでゆく。髪の毛まで燃えたりして。その中にいたわけです。

・・・(笠尾)・・・。

魚津:弟がその時に死んだんです。

・・・(笠尾)そうでしたか。

魚津:苦しい、苦しいと言ってね。酸素がないから。入ってくるのは炎だけ。

・・・(笠尾)それはご自宅で?

魚津:いや、学校で。「学校に逃げよ」と、日頃からそう言われてましたから。初めは講堂にいたんですが、私はどうもやばいからいつでも逃げられるように玄関に近いところにいた。それで助かった。講堂にいたのは天井が焼け落ちて全員が死んだ。

・・・(笠尾)東京のどのあたりだったのですか。

魚津:浅草。浅草の新堀(しんぼり)。余計なことだけど、池波正太郎の小説で『雲霧仁左衛門』というのがある。あれの活躍した舞台が新堀。浅草の観音様まで歩いて10分くらいのところです。そこで火の中で九死に一生を得た。1時間以上、酸素がほとんどない状態で苦しめられたんですがね。

・・・(笠尾)壮絶な体験をお持ちだったのですね。
魚津:それまでは、私は明るいだけのおとなしい子供だった。でも、その時からアメリカに対して復讐してやりたい、強くなりたいという気持ちが出てきた。絶対強くなってやろうと。


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