本学の空手部は1931年創部。松濤館の空手を継承。
伝統ある体育会の中でも最も伝統と歴史を誇る部です。
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■日本空手道史概観
                                                                                                                             笠尾 恭二

 
 
 

 










<船越義珍師範の墓前にて>
 
1.中国拳法伝来期(1600〜1800年頃)

<琉球人は勇猛だった・・・琉球武術前史>

 兵書『孫子』の成立は西紀前数百年の古代中国において、すでに戦争の技術と理論が高度に確立していたことを象徴する。
 漢の時代、つまり西紀元年前後の時代、戦闘の最も原初的な技術である拳法は「手搏(しゅばく)」とよばれ、王侯などの前で演じられる総合格闘競技「角抵(かくてい)」(=相撲)とともにかなりその様式を整えていた。
 漢の時代はまた国際的な交流が活発で中国人のアジア諸地域への流出が始まったときでもあり、すでに拳法あるいはその他の中国武術が沖縄に伝わっていた可能性を完全に否定することはできない。
  琉球武術最古の記録は7世紀の中国史書『隋書』<東夷伝流求国>であろう。
「武器は刀・矛(=槍)・弓矢・剣であったが、鉄が少なかったので動物の骨角で補った。人々は戦いを好み、勇猛で死を恐れず、傷によく耐えた。戦うときはまず勇者数人が前に出て挑戦し、それから互いに撃射した」
 と描かれている。また、
「もし劣勢が明らかとなれば直ちに全軍で退却し、和議を申し入れる。和解した後は戦死した者を収集し、皆で遺体を食った」
 と付記されている。
 ここから日本本土には「琉球は食人国」として伝わった。しかし、それは勇者を弔い、その生命を受け継ごうとする宗教的な儀式であったろう。
 13世紀、日本僧の漂流体験談をまとめた『漂到流球国記』は図解付きで、
「人々は弓矢・矛などの武器を持ち勇猛で恐ろしげだったが、実際には一行を歓待してくれた」
 と伝えている。唐僧鑑真も同様の体験を経て日本に渡来したのであった。
 だが、当時の記録はもとより、その後近世に到るまでの沖縄における伝承に拳法らしきものは一切姿を現さない。
 沖縄には古来、単に「手」とよばれる徒手空拳の武術が存在したという説もあるが、拳法は近世、琉球国と中国との交流が活発になってから初めてもたらされた、沖縄にとっては新しい武術文化であったろうと私は考える。
 ただし、棒術は別である。1670(寛文10)年の治安取り締まりの連絡文書に、
「従前から禁止しているにもかかわらずまだ夜間に『棒・刀』を持って出歩く者がいる。堅く禁ずること」
 と書かれている(東恩納寛淳「徒手空拳の大武術」)。平和な時代になっても人々が夜間外出時の護身用として日常的に「棒・刀」を所持していたことの証左である。
 古来、小国の分立抗争が長かった割には鉄製の武器が少なかったところから棒類を武器として戦う術、すなわち棒術は沖縄の場合、拳法とは別に案外古くから存在したものと思われる。
 
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